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プロダクトコンサルタント(ディレクター)

おっくー

2020年に東京からUターンして、渋谷の有名クラブのマネージャーからIT業界に身を投じた『おっくー』。40代後半と遅咲きながら、持ち前の忍耐力と粘り腰で新たな場所づくりに励んでいる

 

▲デトロイトテクノ界の重鎮ジェフ・ミルズの音楽に対するストイックな姿勢に影響を受けており、ジェフの『Exhibitionist 2』と同じポーズでITへのリスペクトを表現。


クラブの配信イベントを機に40代後半でIT業界へ


「土日に仕事がないのは人生で初めてなんですよ」と語る『おっくー』のキャリアはなかなか興味深い。クラブには12年間在籍、その前は美術館の運営スタッフで、勤務の傍ら大学院で「比較文明学」を学んだ。さらにその前はプロデビューを夢見るバンドマン。どのキャリアにおいても一貫しているのは何かしらのイベントを仕掛けていたことで、バンドマン時代の「自分は場所を作る方が向いてんじゃないか」と、いうのがすべての始まり。

新型コロナウィルスの影響でクラブが窮地に立たされた時は配信イベントで切り抜け、おっくーはその際に導入したIT技術に興味を抱く。また、バンドマン時代から(音楽の)トラック作りに取り組んでおり、作曲家やメディアアーティスト御用達のCycling '74社『Max/MSP』というソフトウェアからも大いに刺激を受ける。「今後はこれだな」とIT業界の将来性を確信したおっくーは自身の結婚もあり3年前にUターン。すぐさま職業訓練校に入所してITを学び、求職中に“愛媛 IT”の検索でヒットしたプライサーの存在を知る。

「SNSとお知らせ記事を見て、色々な人がいるなと。ラッパーみたいな人もいるし、ひげもじゃな人もいるし、可愛らしい人もいる。自由なところが非常にいいなと思いました」

プライサーに入社してからの『おっくー』は、プロダクトデリバリーチームの一員として早い段階で大きな仕事を任される。エンジニアやデザイナーとの密なコミュニケーションを取ることにより、彼はスタッフのスキルの高さを思い知らされることになる。

「プライサーのスゴいところは、業務内容の幅広さですかね。アプリ開発をやって、イベントやって、愛媛県の生物多様性の冊子も作っている。『TOBEズージアム』という象の厩舎だったところに絵を展示するというアイデアはスゴいですね。あと、アプリでいえば『伊達なうわじま安心ナビ』には4つのモードがあって、防災にも対応している。それらはみな、技術力の高さがあってこそのものですよね」

 

物事は捉え方次第でどうにでも変えられる
 

▲Webミーティングのためのヘッドセットがトレードマーク。長時間付けていると耳が痛くならないですか? と訊いたら「ゼンゼン平気です(笑)」とのこと。


件の大きな仕事はヘッドセットが手放せないくらいほとんどの時間をWebミーティングに費やしつつも、持ち前の忍耐強さと粘り腰で全うした。それらがデスクワーク中心であったのに対して、今はイベントの運営や打ち合わせ等で外に出ることも増え、地元の人脈も増えつつある。多忙な反面、充実感がみなぎっているように映るおっくーの信条は「前向きに進める」というものだった。

「まぁ、後ろ向いてもしょうがないというところはありますね(笑)。 要は考え方。何をどの文脈で捉えるかで、いくらでも物事はひっくり返せるというということを現代アートから学びました。例えば大竹伸朗さんの作品を構成しているパーツは、一見するとただのゴミじゃないですか。それを違うとこに置くことで作品になるわけで、物事は捉え方次第で変えられる。仕事で問題が起きたとしても、それを次に活かせば経験になるという転換をしながら継続していくという」

継続することで、すべての経験はおっくーの血となり肉となり、よりビルドアップされるわけだ。

「そう思って乗り越えてきました。継続することしかない。前の職場でもそうだったんですけど、結局、僕は才能無いんで、歩みが遅くても継続するしかないんですよ(笑)。絶対やめない。そこを貫き通しています」


IT技術で新たな場所づくり
 

▲普段から人の良さがにじみ出る笑顔で、誰にでも平等に接している。 


40代後半という年齢から察するに、『おっくー』にとってITは終の仕事になるであろう。彼は「日々勉強」と努力を惜しまず、新たな場所を作るべく次のステージへと向かっている。

「まずは今関わっているイベント制作とシステム開発の両立ですね。あとはDJイベントで使うCDJにデータ配信機能を組み込み、世界中のDJイベントのデータポータルを作る。カスタマイズ可能なクラブのVIP(ルーム)予約システムの開発とか。イベントの機能を拡張できるようなことをシステム開発でできればと思っています」

どいて!おばけ!